国際金融都市になるには何が必要なのか

英国の金融センターとしての地位低下が止まらない。いくら長年金融の国際的なハブとして機能していても、金融取引はあっという間に国境をまたいで移動してしまう。

先日も紹介した通りオランダのアムステルダムが、あっという間に欧州の株式取引の中心地となった。アムステルダムの1月の一日平均の欧州株式取引高はEUR9.2bnとなり、シェアを落としたロンドンのEUR8.6bnを超えたと報道されている。従来の取引高の半分がロンドンから移った計算だ。昨年までの取引高で言うと、ロンドンの次はフランクフルト、パリと続いていたのだが、アムステルダムは一気にトップに躍り出た。金融サービス業の比率が15%程度を占める英国にとって、年間GBP9.5bnの損失が見込まれるという調査結果も報道されている。

と、新聞紙上では騒ぎになっているのだが、実際この影響はそれほど大きいものなのだろうか。日本で取引をしていても特に外資系は米国法人や英国法人を通して取引をすることが多く、取引執行機関もスワップであれば米国SEF(Swap Execution Facilities)を使ったりすることもある。特にOTCデリバティブや先物を普段取引をしている感じでは、それがどこで執行されているのかはトレーダー自身はあまり意識していない。当然取引執行を確認したり、取引報告をするオペレーション部門にとっては大きな違いなのかもしれないが、今や世界中どこでも取引ができる。

重要なのは流動性である。日本時間に東証で取引をした方が日本株は流動性があるだろうし、金利スワップも日本時間に日本のJSCCで取引をした方が流動性があるかもしれない。だがそれは流動性のある時間帯や取引Venueの話で取引執行場所がどこであるかはあまり関係がない。日経225先物はシンガポールのSGXや米国CMEでも取引できるし夜間取引の流動性も高い。わざわざ日本に住んでいなくても取引が可能だ。

また、国の経済に影響があるのは、やはり雇用だろう。確かにロンドンから人を移す動きはあるが、取引がアムステルダムに移ったとしてもロンドンの方がまだ金融機関の人員は多いと思う。つまり、ロンドンにいる人がアムステルダムの取引執行機関を使っているだけであれば、英国にとっては言うほどダメージが大きくはないのではないだろうか。あるとすれば取引税などの税金減くらいだろうか。

したがって、金融機関のオフィスや人が本格的にロンドンから脱出してしまうと、英国経済に対する影響が出てくる。今のところロンドンには引き続き金融人材が集積しており、一部テクノロジー部門を賃料の安いところに移したり、取引執行にかかる人的資源をEUに移したりする程度ではないか。もちろん、徐々に移行は進んでいるが、経営層、トレーダー等は引き続きロンドンにとどまっているように思う。そしてこれらの中枢の人材は英国から出る時はおそらくNYに行くのではないだろうか。

香港やアジアもなぜ金融都市としての評判が高まったかというと、人が集まったからである。その意味で低い所得税率や相続税率は人を集めるのに一役買った。そして優秀な人材が集まるにつれ、相乗効果が生まれ、インターナショナルスクールや英語を話せる病院など、世界中から人を惹きつけることになった。

とは言え、英語を話す人が今よりも少なかった80年代などは、それでも海外から日本に人が押し寄せてきた。優秀な人材が集まり、外資系もこぞって日本に参入した。日本からアジアに金融の中心が移っていったのは、言語や税金の問題もあるが、やはり日本の成長力や市場に魅力がなくなってしまったからなのだろう。

日本の成長がかつてのペースに戻ることはないだろうから、やはり極力許認可制度の簡素化、迅速化を進め、国際人材を呼び込むような工夫を続けていくしかない。日本に勢いのあった80年代ならば日本のやり方を貫いても問題なかったが、現状ではやはりビジネスのやり方を国際慣行に近づけていくしかないのだろう。