このところ日本に対する海外からの関心が急速に高まっている。一時は日銀の政策変更を睨んだ取引がヘッジファンドの間では流行したが、現在は日銀トレードは一旦小休止となり、金利市場以外のところではあらゆる関心が寄せられている。
海外の論調は、成長期待というよりは、Non Chinaとしての日本の政治的安定性を評価する声が多いが、それでも日本にようやく構造変化が起き始めているという意見も多くなっている。
日経平均が1990年以来の最高値をつけ、1-3月のGDP成長率も1.6%と予想を上回り、個人消費が全体を押し上げている。焦点だった賃金も若干上昇の兆しを見せ始めており、輸出額も過去2年間で43%と盛り返している。
この追い風を利用して、あとは生産性向上が達成できれば国際的な地位向上を達成できるかもしれない。生産性向上に関しては、過剰品質、過剰サービスからの脱却が不可欠だと思う。どこかで「おもてなし」の精神が捻じ曲げられたのか、日本では効率性よりも完璧を求める風潮がある。日本の半導体の凋落原因を分析した記事にもあったが、同じことはあらゆる分野で起きていると思う。
25年ほど前に米国で生活した時は、チェックの利用額に誤りがあったり、窓口サービスのいい加減さにあきれたものだが、ミスを100%無くすために多大なコストをかけるよりは95%程度で良しとして効率性を追求するのも理にかなっている。当時1円の帳尻を合わせるために支店の銀行員全員で残業するという話もあったが、アメリカだったら無視してさっさと皆帰宅しただろう。
「お客様は神様」という言葉が誤って理解されたことにも起因する。「自分は客だ」という態度で銀行、レストラン、タクシー運転手にクレームをつける人がいるが、海外では店員が言い返す姿も見られる。日本ではひたすら謝るのが一般的だ。
日本でシステム化や標準化が進まないのもここに原因があるのだろう。各社ごとの仕組みに併せるためにあらゆるカスタマイスを求められるため、システム対応が困難で、コストもかかる。それだったら、人間が柔軟に対応した方が安いということになり、システム化と標準化が進まない。最新のテクノロジーを使おうにも、系列システム会社を使わなければならないという制約もあるため、古いテクノロジーを使い続けることになってしまう。
海外では、金利が高い銀行に一瞬で資金が移動するようになり、SVBショックのような混乱が起きている。世知辛い世の中と言われるが、過剰サービスをしても預金を残してくれるかは心もとない。こうしたサービスは資産運用などの分野ではまだ通用するかもしれないが、伝統的な金融サービスは更に標準化、効率化されていくことになるだろう。
ただし、それでも安定性と信頼性は金融サービスには不可欠であることから、日本の金融に最新のテクノロジーを組み合わせれば、世界で十分戦えると思う。そのためには効率よく事務処理を行い、システムかと標準化を進めて生産性を向上させることが肝要である。