内部モデルの終焉

過去30年くらいの間、銀行は自らのリスク管理の高度化を目指して内部モデルを改善してきたのだが、残念ながら内部モデルにコストをかけるのを諦める銀行が増えてきた。規制強化によって、内部モデルは銀行が自由にパラメータを変えられる恣意的なものだという懸念が高まったことにより、リスクを一律の簡便法で評価する標準方式へとシフトしている。

バーゼルIIで内部モデル方式が認められてから、日本の金融機関でも内部モデルに対しては相当のリソースを投入してきた。より先進的な手法を活用するためにモデルを担当する人員を増やし、システム開発も進めてきた。単に規制だからという理由を超えて、内部モデルを高度化してリスク管理能力を高めようという動きは、少なくともプラスの影響を銀行経営に与えており、金融リスク管理の高度化に資するものだったと思っている。

米国当局は、信用リスクの資本賦課の計算に内部モデルの利用を認めない方向に動くだろうと言われている。自らのリスク管理の高度化のため、内部モデルを維持するところもあるだろうが、当局が推奨しないモデルを使い続けて良いのかという意見も当然出てくる。何よりも、内部モデルの維持のためにかかるコストが大きいので、本当の理由はコスト削減ということなのだろう。

内部モデルのパラメータを集めるために蓄積してきたデータに連続性がなくなってしまうのも大きな損失だ。PD、LGD、EADといったデータは、信用損失を推計するためには極めて重要なデータだった。大昔ではあるが、クレジットリスクモデルを担当してキャリアを築いた身としては極めて残念なことである。

現場でも、取引可否をめぐっては、標準法で計算される資本コストをベースに議論が進んでいる。リスクを表す指標としてではなく、単にかかる資本を示すものという理解になってしまっている。人員も減らされ、システム投資にかけられる費用も毎年減ってきている。

ストレステストやCCARなどもあるので、これまで蓄積した知識がすべて失われるものではないが、クレジットリスク管理の進化が止まってしまわないようにしなければならない。以前であれば、高度なリスク管理能力を持つことによって、業界の地位を高めることもできたが、リスク管理モデルが、単に当局に言われたことを最低限満たすものに成り下がってしまうと、当然コストをかけてリスク管理を高度化しようというインセンティブが失われてしまう。

金融危機を経験して、当局サイドが銀行の内部モデルに対する不信感を持ってしまったことは致し方ないが、信用できないから一律に簡便法で縛ってしまうことが、本当に金融の健全性向上に資するのかを考えなければならない。高度なリスク管理能力を持たない中小銀行が、標準法によって先進行と同じ土俵で勝負できるようになったというコメントも聞かれたが、これはLevel Playing Fieldと言えるのだろうか。高度なリスク管理能力を持っているからこそ、取引量を拡大できるのであって、リスク管理能力を持たない銀行が、標準法へのシフトによって、高度なリスク管理を行う先進行から取引シェアを奪えるようになったというのは、本当に規制が目指す方向なのだろうか。